鳥獣戯画より ~「視る」力は衰えていませんか

現代は極度の「情報化社会」です。
二十世紀後半、テレビの普及で情報は、一般大衆化され、「情報化社会」と言われたものですが、インターネットや、それに伴うスマートフォンの普及は以前と比べものにならないほど私たちの生活を「情報化」しています。

その中であふれているのは映像、つまり最も使っているのは「目」です。人間にとって情報というのは、本来は五感の全てを通して得るはずのものですが、今は大半が「視覚」で占められています。しかし、私たちの「目→脳」への働きはかえって衰えているように感じられます。
目に入って「見る」ことと、意識して「視る」とは違いがありますね。あまりの数の「映像」にただ目に入っているだけで、分析的に「視る」のを忘れていませんか?
たとえば、サッカー選手になりたい男の子。海外の試合をユーチューブで見る。たくさんやってます。たくさんやっているからということで、肝心なところを見てないのでは?録画も再生機器もなければ、その日、その時間だけ。あこがれの選手がどのタイミングで映るかもしれない。出たと思うと、その選手の足元をじっと視る。今日は「足元」だけ。全部なんて見れないからね。次は「トラップのときの手の動き」とかじっと見つめるでしょう。このやり方のほうが実は「視てる」ものの情報量はかえって多いのです。
身につくものでなければ、どんな情報も捨て去るゴミと同じですから。

さて、漫画の起源とされる「鳥獣戯画」。この絵巻物には読者を引きつける工夫があることを知っていますか。逃げるように走るサルの目線は、振り返るように巻かれた奥へ。「いったい何が」と読者は巻物を開いていく。開くと次の場面が現れる仕組み。この仕組みをじっと「視る」ことができた人が、「スクロール」という方法に目をつけ、スマホ画面の指で操作し、次々と画面が流れていくシステムを作り上げました。皆が見てるはずのものを「視る」ことができた人だけが可能だったということです。
ユーチューブなどの動画を見ることもあるでしょうが、多量過ぎて実は君たち何も視てないのでは?

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