「コぺル君」に学ぶ ~自己客観論

昨年から話題になっている「君たちはどう生きるか」は実は、
戦前から読み継がれた作品(同名、by吉野源三郎)を羽賀翔一という漫画家が、現代の君たちに知ってもらいたいと漫画化したものです。
主人公を「コぺル君」と呼ぶ第一章の「へんな体験」はたしかに中学生諸君に読んでもらいたいと思います。

 

ー父を亡くした中学生の本田潤一。物知りで何でも応じてくれる叔父さんがいる。
ある日、叔父さんと二人で銀座のデパートの屋上に立ち、彼は下の東京の街を眺める。
霧雨が降る中、ずっと見おろしていた主人公には次第に東京の街が一面海に見え、そこに何十万人という人間が居る。
そこに自分も居て「人間って水の分子みたいなもの」と感じてしまう。

そして
「見ている自分」
「見られている自分」
「それに気がついている自分」
「自分で自分を遠く眺めている自分」と
いろいろな自分がいるんだという考えに至る。

それを帰りの車の中で叔父さんに話すと、叔父さんは「そうかー、そのことはよく覚えておきたまえ」と彼に言い、その夜、彼を「コぺル君」と名付けることになる。
「子どもは自分を世界の中心だと考える。こうした人間の自然状態からの脱出」こそが(by 中村光夫「教養について」)「子供期」から「少・青年期」へのプロセスです。

「自分そのもの」から一歩外に出て、自分を「客観的に見る」。

難しいことばで言うと「自己を対象化」するということです。

この精神的成長がなければ、「学力」はついていかなくなります。

自分を客観的に観て、分析し、「自分を知る」ことから始めて、それへの対策が自ら考えられるようになるのです。
子供期から少・青年期へ移行できてこそ大学受験への土台ができると言ってもいいです。それくらいの劇的変化なのです。

だからこそ、小説の中の叔父さんは中学生のおいの言葉に劇的変化が起きたとわかり、「コぺル君」と名付けたのでしょう。

「コぺル」つまり「コペルニクス」はそれ以前の「天動説」(地球が宇宙の中心)から「地動説」(地球の方が太陽の周りをまわっている)へと
世界の認識を劇的に変えた人物だからです。

君たちも漫画版、さらには活字版でこのあとの「コぺル君」の物語を読んでみてください。

*欠点も自ら認識した人は、「欠点を出しゃばらない。奥ゆかしく誠実で謙虚だ。反省もする。努力もする。だから可愛い。」(by早川義夫)の域に達することができます。

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