“親密圏”の外にアンテナを!~ネット世界は無限に広い内部

広大にひろがるネット世界は、どんなに無限に近くても、それは内部だ。
自ら興味のある、事象、事物、人物のみの枝に延々と広がる内部にすぎない。次元の違う異質なものに出会わない。つまり、実はいかなる「外部」もそこにはないのだ。しかもLINEの登場でもっと狭い”親密圏”の中だけにこもる傾向が著しい。
中高生、今やひいては大人の若者も、親密圏内の仲間にはとても気をつかうことにエネルギーを費やし、そのことですっかり消費してしまい、以前にましてその外にアンテナをはることなどできなくなっているのではないか。

メールを見ておかないと、返さないと、しかのもそのメールの内容を果たして見たり、返信の意見を出したり相当するのかまで考えると、(雑談が伝達するのは情報ではなく情緒なのである)若者がそんなことに疲れてもったいない、と思ってしまう。
疲れる最大の原因は、メールのことばには表情と、とくに音声がのらないので、”バカじゃないの”のニュアンスが伝わらない。(絵文字もステレオタイプなものしかなく、人間の表情を瞬時に切り取ったものとは言いがたい。)そのことが、無意識にわかっているから、誤解されたら困るともっと細めにコンタクトしようとするのではないだろうか。例えば私の大学時代の友人からの”バカじゃないの”は、はげましの言葉だっと。(表情と音声がのっているから真意が伝わる)
友人というものにはいろいろな次元がある。仲のいいと言われる、つまり、情緒を交換するだけでいい関係ばかりではなかろう。