「わかる」を「できる」に変えるのは?

十八世紀末におこった産業革命以来、地球温暖化は進み、
その差はもうすぐ1.5度にもなるという発表が先月、国連から出ました。

温暖化によると思われる異常気象は、今年、日本でも数々みられましたね。
1.5度の上昇は農作物への影響が出るのも必至でしょう。産業革命を契機に資本主義は確率していきましたが、
二十世紀、それを最も代表するのがアメリカ合衆国でした。合理主義と大量生産に支えられたアメリカの文化の象徴が「使い捨て文化」です。
食器を洗うのは時間の無駄。だから紙皿、紙コップを使って、そのまま捨てる、
というものです。
それが今、世界的に見直そうとされています。しかし、この考えは環境問題だけに当てはまる ものではなく、君たちが学ぶものとしての一日の過ごし方にも大きく関係するのではないでしょうか?

その一日で学んだことを「使い捨て」していませんか?

そのときには意識にとめず(つまり「使い捨て」)テスト週間にまとめて『ばぁーっ』とつめこむ。すると、しっかり定着していないので、三ヵ月後にはわすれているといった感じです。
一日が終わるとき、日記をつけてみよう(「学んだこと日記」みたいなものが実践できるとベストですが…)とまでは言いませんが、その日、学校や塾で学んだことを、一日の終わりにもう一度振り返る時間をもうけてみましょう。

できれば、「小見出し」として頭の中でインデックス化できるといいですね。

例えば、
英語なら「助動詞~動詞の意味を補助的に助ける。英語では日本語と違い動詞の前に置く」

数学なら「一次関数~xを決めるyがただ一つ決まるもの。自動販売機のメカニズム」

地理なら「世界の諸地域をいろいろ習うと、植民地だったところは単一作物(モノカルチャー)なんだと俯瞰しておく」

その大枠の押さえをするだけで、定着力はぐんとアップするでしょう。

日本語には、とても英訳できないほど美しい言葉があります。
「思いを馳せる」です。
「気持ちをむける」という意味ですね。人に対してだけでなく、物に対してもつかえます。

例えば、「故郷に思いを馳せる」などと使うでしょう。

「学んだこと」にその日の終わりに「いとおしみ」をこめて「思いを馳せる」ことができれば、ただ明日の小テストの点がとか、定期考査の点を取るためだけの勉強から、真に身につく勉強へとレベルアップした『学力』になるでしょう。

先月、皇后として最後のお誕生日を迎えられた美智子さまのコメントの中に、大学生時代、心に刻んだ言葉として

「経験するだけでは足りない。経験したことにおもいをめぐらすように」とありました。

まさに「思いを馳せる」ということだと思います。その日、もう一度「思いを馳せる」ことができれば、抽象化された活きた知識として残っていくのです。