目の前の対象に「感じる」だけでなく「考えて」いく習慣を

中学三年生のプロ棋士 藤井聡太くんの連勝記録は社会現象とまでなりました。将棋に勝つための努力をずっと続けていることはもちろんすばらしいことは当然です。しかし、もっとすばらしいと思うのは彼がインタビューに応えているいくつかのフレーズにありました。

連勝の新記録を出したとき、彼は「実力に見合っていません。運がよかったなと思うところがたくさんあります。むしろこのあたりで『平均への回帰』が起こると思います。今の結果は偏っていると思っています。」
そして、平均への回帰~プロと対戦~勝ったり負けたりするのがあたりまえの実力と自分を冷静に分析し、だからこそ、「相対的にというより絶対的に強くなりたい」と思っていますと応えた。
『相対的に強い』というのは人と比較し、どちらが強くどちらが弱いかということで、相手によってその強さは左右される。そうではなく、彼は「絶対的に」と語った。そのために努力すると。対戦相手がいないと成り立たない世界でありながら、人との比較でなく『絶対的に』と言えるのはすばらしいことです。
受験も相対比較で合格が決まりますが、偏差値、競争倍率などに左右されず、『絶対的な学力』を目指して!!
それが「高校受験を最終目標にしない」、(その先に大学受験がある)「高校受験を使って」という中学生の本来あるべき勉強像なのではないでしょうか?
だいたい君たち、「平均への回帰」とか「相対的というより絶対的に」という言葉がすらすら出てきますか?
日々の生活の中で、「眠い」「うざい」「疲れる」「ムカつく」「おもしろい」「うまい」等々、ひょっとして「感じる」ことのみで目の前の対象が通過しているのではないですか?
一度、自分の前に、対象物をしっかり置き、そのことについて「考える」ということを続けてみましょう。

==こぼれ==
名古屋大付属中に通う彼。先生に、「宿題だからといってすでにすっかり理解できているものを、又、やることに意味があるのか」と質問したそうです。彼のことを想起すると、生意気に言っているのではなく、「宿題とは自分にとって何なのか」をちゃんと考えるからだろうと推測できます。
提出することにのみ、意識をうばわれがちな君たちには耳が痛いのではないだろうか?

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